2011年12月16日金曜日

朝、流れ星の音を聴く


朝5時過ぎに家を出る。
朝だけど夜のような闇。
自転車に乗って空を見上げた、
その瞬間に流れ星を見た。

その光が見えてから数秒は、
しーんとした静寂に包まれた。
それから少し遅れて、
なにか音が聴こえる。
こころの中で。

そのあとのしばらくの間、
あの音はどんなだったかな、
どう表現できるかなと、思いを巡らせる。
始発近くの電車の中で。

ほんの一瞬の出来事が、
そのあとしばらく、
こころの中を動き続けた。

2011年12月10日土曜日

リュックが開いていますよ


夜遅い時間の満員電車は、
自分が疲れていることも相まって、
どんよりとした気持ちになることが多い。

今日の車内もずいぶんと混雑していた。
静けさには様々な種類があるけれど、
ここにあるのは、
どことなくピリピリとした静けさ。

そんなとき、若い女の子が、
おじさんに向かって、ゆったりと言葉を発した。

「リュックが開いていますよ、
 中身が落ちてしまいそうで心配で」

なんとも、自然で優しい声だった。

おじさんは、少し照れくさそうに、
でもなんだかうれしそうな表情をしていて、
「ありがとうございます」の言葉が温かく響いた。

ぱっと車内の静けさの種類が変わるのを感じた。

駅について、改札を抜けると、
ちょうど、皆既月食が始まっている。
遅い時間だと、ほとんど人通りのない帰り道だけど、
今日は、夜空を見上げる沢山の人たちとすれ違う。
それぞれの人の時間が、
そっと止まってしまったような、静かで温かい感覚に。

24時をまわって家に戻ったのに、
ほとんど疲れを感じていないことが不思議。

2011年9月15日木曜日

旅するたのしさ

1週間ちょっと、北海道でゆったりとしてきました。

最終日は、モエレ沼公園を見て、
それから小樽へ。
日が沈み、運河の水面に、
灯りがうっすら浮かんくる風景が
とてもきれいだった。

翌朝は、小樽駅の近くでモーニング。
ママがひとりで切り盛りしている、小さなお店。
僕は小さな喫茶店のモーニングが好き。
見知らぬお店に入るちょっとした緊張と、
これから一日が始まる朝の匂い。

土曜の朝だったからか、お店は混んできた。
家族連れでカウンターは埋まり、全員がモーニング。
「少し時間かかるけど、電車は大丈夫?」とママ。
しばらくして、厚手でふかふかのトーストが焼き上がる。

「無理すれば、4枚まで焼けるんだけど、
 無理しちゃってもねぇ…」

ママがにこやかに、話してくれたことば。

無理しちゃってもねぇ、の続きは微笑みだけだったけど、
なんだか、その続きも、こころにすっと響いてくる。

どこにでもあるような、
ちょっとした会話や、
さりげない風景でも、
そこから多くの意味を感じとれるのが、
旅のたのしさなんだろうなあ。



2011年5月23日月曜日

これぞ笑顔

幼なじみの親戚の赤ちゃんを
抱っこさせてもらった。
はるくん、生後二ヶ月。

顔も手足もぷくぷくとまんまるで、
ほんとうにかわいらしい。
小さな手に触れると、
僕の指をぎゅっと掴んでくれる、
その握力の強さに驚いたり。

ことばはもちろん、
視点もまだあやふやだけど、
ふとしたときに笑うのです。
なにかうれしいことが、
はるくんのなかで起きているのでしょう。

生きていくうえでは、いろんな笑顔が必要だけど、
笑顔ってなんだろうと思い浮かべるときには、
はるくんの表情を思い出したいと思いました。



2011年4月18日月曜日

絵画を眺めること、音をつくること


先日、ホキ美術館に行ってきました。
北海道から一週間ほど東京にきていた父親と、
ドライブをかねて、首都高を走り湾岸道を抜けて到着。
千葉市緑区にあるホキ美術館は、
昨年11月にオープンした、写実絵画専門の美術館。

実は、写実絵画には、それほど関心がなかった。
「まるで写真みたい」
というありふれた感想に違和感を覚えて、
そして、その台詞が
僕の中に残り続けていたようで、
せっかく絵画を見るなら、
もっと想像の広がるものが見たい、
なんて生意気なことを考えていました。

でも実際に、自分の目で、
素晴らしい写実の作品を眺めていると
沢山の発見があったのでした。

たとえば、
グラスに注がれた透明な水のなかにも、
無数の色彩が潜んでいるということは、
写真を見ていただけでは、なかなか気づけなかったと思う。

その無数の色彩は、
作品にうんと近づいて眺めると、浮かび上がってきた。
少しの距離をおくと、写真のような光沢が生まれる。

*

近づいたり、離れたり、その動作を繰り返していると、
それが、音作り(ミックス作業)にもよく似ていると感じた。

サイン波以外のすべての音には、
複数の音波が含まれている。
たとえば、ギターの単音にも無数の音波が存在していて、
それを音源にするときには、
聴きやすくするため、心地よく聴かせるために、
様々な音波を強調したり削ったりします。
その作業中というのは、まさに、
絵画にうんと近づいて眺めている感覚。

そして、編集がすすんだら、
ギター以外の音と同時に鳴らしたり、
一般の環境にあるようなラジカセで
聴いてみたりするのですが、
それが、絵画の全体を眺める感覚。

近づきっぱなしでもダメだし、
離れっぱなしでも、退屈な仕上がりになる。
ふたつの動作を繰り返しながら、音をつくっています。


これって、日常生活でも、
いろいろ置き換えて考えられそう。
人との関係もそうだろうし、将来を考えることや、
料理をするとき、掃除をするとき、などなど。

近づいたり、離れてみたり。
その動作を繰り返すことを大事にできたらと思います。